少年国史物語 第1巻 高天原

日本の歴史は神代かみよの事から始まる。天照大神あまてらすおおみかみの御支配になっていた高天原たかまのはらから、乱暴をした御弟の素戔嗚尊すさのおのみことが逐出される。

日本はどうして出来たか? いつから始まったか? どういう変遷、発達をして今日のこの大日本帝国となったのか?
いったい日本はどういう国柄か? 日本人はどういう民族か?

これらの事を始めとして、日本国民として我々の知っていなければならない歴史上の事蹟じせきはすこぶる多い。知っていなければ国民としての本分を完全につくすことが出来かねる。

そもそも日本はどうして出来たか? いつから始まったか?

神代の物語

どこの国でも大昔のことははっきりとは分からないものだが、わが国には古くから語り伝えた神話があって、大凡の事は知ることが出来るようになっている。ここに神話というのは、神代かみよの物語の事で、神代というのは、わが国の大昔に相当の身分であった方たちの時代を指してそう呼んでいるのである。

で、この神代の事から日本の歴史は始まるのである。

天照大神の御徳

さて、今日では明確にはここと指すことの出来かねる高天原たかまのはらというところを、計り知れぬ程に遠い昔々、天照大神あまてらすおおみかみというお方が御支配になっていた。はじめてこの日本の国をお造りになったお方として有名な伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉命いざなみのみことの御子で、あたりもまばゆいほどに美しく照り輝いた女神おんながみであった。御徳が極めて高く、よろずの事にすぐれておいでであったが、最も御心を農事にお留めになり、はじめて人民に稲や麦を田畑に植えさせ、蚕を飼わせ、またはたを織ることをもお教えになれば、牛や馬を飼うということをもお勧めになって、そのお恵みのあまねく行き渡ったことが、ちょうど太陽の万物を照らすが如くであったから、万民に日の神を仰がれ給うた。この大神こそ実にわが皇室の遠いご先祖であって、同時にまた、わが大日本帝国の基をお定めになったお方である。

この大神の御威徳で、その御支配になる高天原は、どこまでも清く明るく照り輝いて、いつも平和な、幸福な日がつづいていた。

ところが、大神の御弟に素戔嗚尊すさのおのみことというお方があったが、このお方は、大神のおやさしく、お情け深いのと違い、至って勇ましい御気性であったから、ついお元気に任せて乱暴なこともなさった。大神がせっかくおつくらせになった田の畔をこわし、溝を埋めて、農作の妨害をなさったこともあれば、また大神がその年の新しいお米を供えて御先祖を祭られるために御新築になった御殿に、きたない物を撒き散らして汚されたこともあった。けれども、大神はつねに尊をお愛しになっていられたので、そういう乱暴も、尊に悪気があっての事ではあるまいと、何事も善意に取ってお咎めにはならなかった。ところが、尊の乱暴はますます烈しくなって、ある時、大神が御先祖の神々にお供えする機を織らせておいでになると、尊はその御機殿おんはたどのの屋根を破って、皮を剥ぎ取った生馬を投げ込まれた。なんといういたずらをなさったものか! それを見た機織女はたおりおんなはびっくりした拍子に機から落ちて、死んでしまった。

天の岩屋

ご先祖に対するこの御不敬な乱暴には、さすがの大神も全くお怒りになって、天の岩屋に入り、ぴったりと岩戸を立てて隠れておしまいになった。さあ大変! 今の今まで明るくて照り輝いていた高天原は、大神のお姿が見えなくなると共に全く光を失って、真っ暗闇となった。と、それを待ってでもいたように、八方から悪者共が飛び出して、さまざまの悪事を働きだした。いったいこういう悪者共は、いつの世でもそうだが、世の中がよく治まって明るく照り輝いているときには、どこか隅の方の暗いところに小さくなっているが、ちょっとでも乗ずる機会があると、忽ちもくもくと群がり起って、悪事を働き、人民を苦しめるものである。で、そのままに放任しておけば、世の中は全く乱れてしまう。

高天原の朝廷では数多の神々が大いにそれを心配された。どうかして大神を岩屋からお出し申さなければならないが、さて、どうしたらよいであろうか? 神々はあめやすの河原というところに集って、一大会議を開き、いろいろと御相談をなされた結果、一等智慧のある思兼命おもいかねのみことというお方の意見に従い、岩屋の前で、みんなで面白そうに踊ったり歌ったり騒いだりすることになった。というのは、大神がそれを不思議に思し召して、岩戸を開けておのぞきになるに違いないから、その時、無理にもお出し申すことにしようというのである。

岩戸の神楽

そこで、根こそぎにした大榊の、上の枝には八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを取り付け、中の枝には八咫鏡やたのかがみを取り懸け、下の枝には白い布や青い布をひらひらと懸け垂らして、それを岩屋の前に立てて、その前で楽しそうに神楽かぐらをはじめた。その時、天鈿女命あめのうずめのみことという女の方の舞の様がいかにも可笑しかったので、そこにいたほどの神々はみんなどっと笑って、一時に手を拍ち足を踏み鳴らした。まるで天地を動かすばかりの騒ぎであった。

すると、果たして、大神は何事が起ったのかと怪しまれて、そっと岩戸を細目に開けて「わたしがここに隠れたために、世の中は暗くなって困っていようと思うのに、どうして天鈿女は舞を舞い、他の者達は笑っているのか?」とお尋ねになった。で、鈿女命が「あなたさまよりもすぐれた貴いお方がお出ましになったので、みんなが喜んで騒いでいるのでございます」と、こう申し上げている間に、太玉命ふとだまのみことというお方が榊に懸けた鏡を指し出すと、それに大神のお姿が映ったので、大神はいよいよ不思議に思し召して、なおよく御覧になろうと、戸から少しお出になりかけた。

その時、岩戸の蔭に以前から隠れて待っていた手力男命たじからおのみことという非常に力の強いお方がここぞと力を籠めて、岩戸を押しあけ、大神の御手を取って、無理に外へお出し申した。すると、他のお方が七五三縄しめなわを大神の御うしろに引き渡して「これより内へはもう決してお入りくださるな」と申し上げた。今も神社などの貴い場所に七五三縄を張るのはこれが本になったのであって、また今日、神社のお祭の時に行われる岩戸神楽もこの時の神楽から始まったのである。

さて、大神がお出ましになると同時に、世の中はまた元のように明るく照り輝いて、悪者共はどこへともなく影をかくしてしまったので、神々達も人民も大喜びに喜んだが、今度のこういう騒動を惹き起したのも、元はといえば素戔嗚尊が乱暴をなさったせいであるから、尊の処分をしなければならないと、高天原の朝廷ではいろいろと相談されて、ついに尊を高天原から逐い出すことにした。いかに御きょうだいの間柄ではあっても、君臣の別は厳然として犯すことの出来ないのが我が国の大昔からの定めであるから、一度、大神のお怒りに触れるような行いをした以上は、それに相当した罰を受けなければならなかったのである。

古事記は現存する日本最古の書物とされ、太安万侶が編纂し、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し元明天皇へ献上したと言われている。日本書紀においては養老4年(720年)に完成したと伝えられている。

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